by Utayo Furukuni
vol.4




音楽雑誌でモノを書く…ということに携わっていた私は、たくさんの“人”と出会い、たくさんの“言葉”と出会った。そういった人々の言葉に“触れる”ことにより、より一層、音楽、人生観などにインスパイアされ、はっとさせられた瞬間に何度も遭遇した。不定期になると思うけれど、バンドのインタビューを通して、言葉の持つ大きな力を、メガロマニア・コラムで書きたいと思います。


第1回は、残念ながら4月に来日が中止となったトラヴィス。
ピュアな笑顔の写真にも、注目ござれ!



Travis 1997, London

Travis 1997

@トラヴィス -1997-

「音楽シーンっていうのは
ほとんど”サーカス”みたいなものだと思うんだ」
Fran Healy

トラヴィスは1997年当時、まだ日本では無名に近い存在で、一部ファンが盛り上 がっていた状況…と記憶する。そんな日本の状況とは反し、イギリスでは、シングル 『All I Want To Do Is Rock』 がラジオでプレイされ始め、 ゆっくりと、しかし着実に、知名度をあげていた。


勿論、西の横綱、オアシスがいて、東の横綱にはブラーがいた。日本でも、イギリスでも、時代はまだまだブリット・ポップ・バンドが幅をきかせ、トラヴィスのような「歌ありき」バンドは、どちらかという と地味な存在だったのだろう。トラヴィスもブリット・ポップにカテゴライズされていたとは思うが、何というか、存在そのものはオーガニックだったなぁ。ともかく話題先行バンドが多すぎた。そして消えていったバンドを、どれだけ見たことか…。


しかし、オアシスがトラヴィスを絶賛、サポートに起用し、アルバム 『Good Feeling』 がリリースされると、人々はトラヴィスの持つ伝統的なロック・ミュージックに惹かれ、注目し始めた。 音楽外で全てをクールに振舞うバンドが蠢く中、音楽に誠実に接したトラヴィスは、何より輝いて見えることを証明してくれたのだろう。まぁ、ロンドンに引っ越してきちゃったけどね。(←スコットランド出身バンドにとって、これは重要!)


そんな中、QUIPライターであったViolette The Drunkが、トラヴィスの音楽に魅了され、レコード会社にインタビューを申し込だ。
結果はOK!おまけに「アレンジもします」なんて、目が点になってしまった。すんなりOKされたインタビュー、あまりなかったもんなんで。(苦笑)
これには、結構驚いたが、自分たちの雑誌が認められ始めてる!とうれしかったなぁ(涙)


さて、トラヴィスとのインタビューだ。
場所はロンドン、ソーホー近くにある所属レコード会社ビル。オフィスはきれいで、しゃれていた。さすが!って感じのデザイナー・ビルでした。
いつもは、どこかのパブでインタビュー決行!パターンだったのに、雲泥の差!(笑)日本の雑誌インタビューは「お初」と言うことで、こっちときたら逆に緊張しちゃいました。だって、日本にゃ、それはそれは有名な音楽雑誌が王道を突っ走ってたもんねぇ。


そうそう、Violette The Drunkは、私と伊勢が夢中になってライヴを見ていたバンド、ロングピグスのライヴで、サポートをしていたトラヴィスの存在を知ったらしい。すごい接点!ああ、懐かしや、90年代中期…。


インタビュー中、メンバーは終始ニコニコだった。トラヴィスの4人は、本当に仲が良くってねぇ…。その仲良し振りが、写真を撮る時でもフレーム一杯に表れていた。
「こんなにピュアな笑顔をしてくれるバンドも、いないよなぁ」としみじみ感じだ次第。特にフランちゃんの笑顔はイノセントで、心が温まった。ドギーがフランちゃんを見つめる視線も、ただ単に「バンド・メンバー」それだけじゃない、大きな愛で包んでいた。これがまた泣けてねぇ…。


ここで、特に印象的だったインタビュー・シーンを振り返ってみたい。


●昨年はトラヴイスにとって飛羅の年でしたが、自分たちでは具体的にどんな進歩があったと思いますか?


Fran Healy(以下F) 「イギリス、あるいは世界中のどこでも、日本は少し違うかもしれないけれど、音楽シーンっていうのはほとんど“サーカス”みたいなものだと思うんだ」


●“サーカス”ですか?


F「うん。トラヴィス、レディオヘッド、エンブレイス、スパイス・ガールズ。みんなサーカス・リングに飛び込んできた。音楽シーンには二つの要素があると思うんだ。一つ目はサーカスの輪の中に飛び込むこと。今シーズンはこのバンド、来シーズンはこのバンドって感じで回っている。シーズン制なんだ。二つ目はマジックのようなやつで、特別なすごいものなんだ。例えば、REM・・・。9年以上もバンド活動をやってきた彼らに、突然あの『ルージング・マイ・リリジョン』が来たようにね」


●爆発のような感じでしたよね。


F「そう。何万ていうインタビュー、テレビ番組、テレビ広告があれに関するものだった。あの曲が人々に触れたからなんだ。これが第二の要素で、まるで魔法のようなものなんだよ」


Dougie Payne(以下D)「すべてを超越するような、グレイトなことだよね」


F「僕自身は、本当にほんの少ししか音楽性を持ち合わせていないんだ。スパイス・ガールズの話になっちゃうけど、あの5人の女の子たち、ミリオンって稼いだよね。その代わりに自分たちのイノセンスをなくしたとも思うけどね。でも彼女たちのやったことは物割、数字となって反映されている。どんなレコード会社もあんな数字をたたき出すことはできないよ。あれがマジックってものなんだ」


●トラヴイスとしては97年そのサーカスの輪に加わった、ということですね。


F「そう。去年はすごくハードにやったよ。ブリットアワードにもノミネートされたし、オアシスを筆頭にベストリマンドのサポートもやってきた。いろんなことを学んだと思うよ。ファンタスティックなことだ。ただ"マジック”は僕たちにはまだ起こっていない。この先も起こらないかも知れない。でも希望は持ってるよ。僕たちがやっていることは本当に誠実で嘘のないことだし、正直すぎるかもしれないと思うよ。でもそれが僕たちなんだ」

●今年98年にそのマジックが起こるかもしれませんよ。


D「かもね」


マジック…。この言葉にはドキッとした。今でもあのシーンを思い出すと、トラヴィスの確信って、すごく大きなものだったんだ…と、ゾクッとするのだ。そして、音楽を達観視していたフランちゃんが発したサーカスの輪。97年、そのサーカスの輪に飛び込んだトラヴィスは、1999年、セカンド・アルバム 『The Man Who...』 をリリース。正真正銘のマジックを起こして、一躍、時のバンドとなった。




innocence-before experience


4月の来日は、フランちゃんの体調不良で、残念ながら流れてしまったが、きっとまた、日本のファンの前に元気な姿を見せてくれるハズ!
それにしても、何たるイノセントな写真!もう、これを見るだけで泣けてくるのは何故でしょう?そして、フランちゃんのセーターは、ママお手製のスペシャルです!ああ、美しきや、ママの愛…。


そういや、トラヴィス、日本のバンド、イエローモンキーとロンドン・アストリアでライヴを行なった。メインはトラヴィスであったが、日本から大量にイエモン・ファンが押し寄せ、トラヴィスがプレイする頃には、オーディエンスがいなくなっていた…というエピソードも語ってくれた。「彼たち、日本じゃすごい人気なの?」と質問され、全くもって日本のシーンに疎かった私は「そうですねぇ〜、知りません…。でもトラヴィスほどじゃないですよ」と答えた私に、ニコッ!と笑顔になったフランちゃんは、子犬のように無邪気であった。


2004-06-28


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