21 Grams | |
Jasmin - 2004/6/15 事故や病気で愛する者を突然失い、残された者たち。いったいどうやってそれを乗り越えていくのだろう。加害者となってしまった者は後悔と罪の意識にどう向き合っていくのだろう。毎日のように報道される犯罪。被害者と加害者。しかし報道がその当事者の内面まで踏み込んでいくことはない。自分がその当事者に(そしてその家族に)ならない限り、閉ざされたドアの向こうでどんな毎日が送られているのか。知ることはできない。『21グラム』は映画だからこそ、その閉ざされたドアの向こう側を見せてくれると思った。クリスティーナ、ジャックそしてポール。映画は3人の苦しみの断片、苦痛の細切れのようなものを入り組んだフラッシュ・バックで見せようとした。時間系列を無視したシーンのはめ込みはそのまま主人公たちの時間があの事故の時点で「止まっている」ことの裏返しではないだろうか。 ポール(ショーン・ペン)は移植によって命の危機から脱するが、移植した臓器が充分機能せず、再移植か死か、を宣告される。1度取り戻した人生を再び奪われるという残酷さ。臓器移植は決して成功率100%ではないのだ。 クリスティーナはポールの子供を妊娠する。失った2人の娘の空白の存在を、新しい生命が埋めるという結末だ。「残された者」のひとりとして、彼女がどうやって苦しみや悲しみを乗り越えていくのか、何かの答え、何かの手がかりを求めた人には空気をつかまされたような結末だろう。このクリスティーナの「救い」は偶然でしかないからだ。その「救い」があなたや私に当てはまるわけではないのだ。Life goes on. 劇中何度も出てくるこの言葉。人生は続く。自分の苦しみや悲しみとは関係なく。「それでも人生は続く」と自分に言い聞かせることで、右足を出し、また左足を出していくしかない。 |
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2004/6/16更新
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