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directed by Quentin Trantino

by  ise
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どうなるんじゃ?どうなるんじゃあ?と脳みそを搾り上げられた半年前のvol.1での謎がすべてとかれた今作!ユマが最後に勝つとわかっていながら、どうなるのかはらはらしてしまった。vol.1より血の量は圧倒的に少なく、キャラクター一人一人をぐっと掘り下げた人間ドラマになっている。特にビル。演ずるデイヴィッド・キャラダインは哲学するカンフーの使い手、彫刻家、ミュージシャン。




冒頭、回想シーンは美しく叙情的なモノクロ。チャペルでの結婚式(実はそのリハーサル)でいったい何が起こったのか、まずその謎があきらかになる。リハにいそしむブライド(ユマ・サーマン)たちの前にビル(デイヴィッド・キャラダイン)が不吉な姿をあらわす。


ブライドは夫となるトミーに彼を「父」だと紹介する。「結婚式の前に花嫁のウェディング姿を見るのはよくないんじゃないか?」ビルの一言、一言に見ているほうははらはらする。この先何が起こるのか知っているからだ。ビルは終始冷静で、おだやかな口調だが、彼がナイスであればあるほど、こっちは震えがきそうになるほど、こわい。彼が冷酷非情の本性を持つ男だとvol.1でいやというほど知らされているからだ。彼は静かにそこにいるだけでいいのだ…あとは見るものがかってに彼のイメージを膨らませていく。やがて暗殺者たちが乗りこんで来る・・・




ブライド(ユマ・サーマン)は東京でオーレン・イシイを片付けたあと次のターゲット、バド(マイケル・マドセン)をねらう。しかし用心深い彼に逆に捕われ、棺おけに押し込まれ生き埋めにされる。これはこわかった。


「ダーティー・ハリー」の第1作で誘拐された少女が木の箱に入れられたまま土中に生き埋めにされる、という事件を描いていた。猟奇殺人を扱ったTV番組などにもたびたび登場する極限の残酷だ。寝る前に電気を消したあと、その状況を想像して息苦しくなったものだが、今回はその比ではない。想像どころか、実体験させられるのだ。


蓋に打ちこまれる釘、その上からかけられる土、去っていく車の排気音。訪れる「闇」と「静けさ」。あの閉塞感と絶望と恐怖。自分だったら発狂すると思った。ブライドの叫びを飲みこんだ荒い呼吸。助かるのはわかっているのだが、どのようにして?誰か助けが来るのか? -パニック寸前の極限状態の中で、ブライドはふと懐中電灯を消し、懸命に息を整える。暗闇の中で彼女の思考は、中国での修行時代に戻っていく。


ビルの命令でパイ・メイという拳のマスターに弟子入りしたブライドこと本名ベアトリクス・キドー[キドーは「合気道」からとったのか]はその目標として厚さ10センチはあろう木の壁を突きで割ることを課される。7、8センチの距離からそれを割るのは不可能のように思えた。しかし師は「最初から不可能と思っていてはできない」と教える。


血を吐くような鍛錬、突きの連続で手は痙攣し、箸さえ持てない。手掴みで飯を食べようとする彼女に師は言う。「それでは犬だ。人間でいたかったら箸を使え」。ここは泣けてしまった。プライドを師は教えようとしたのだろう。どんな状況においても自分を見失わず、人間として自分を律すること。くずれそうになる自分を踏みとどまらせ、前を見続けるための強靭な精神力。私の中で、パイ・メイが自分の力をひけらかす傲慢なジジイからカンフー・マスターへと変貌したのはこのシーンだ。演ずるはゴードン・リュウ、白髯をさらりと流すしぐさも御茶目だ。


暗闇の中で、自分をとりもどしたブライドの顔は自信に満ちていた。見ているこちらも勇気凛凛、棺おけの蓋に突きをくれるブライドに完全一体化していた。こうして彼女は墓場からよみがえる。土からにょっきり出た手は「キャリー」のパロディか?!




一方バドはトレーラーでエル(ダリル・ハナー)と会っていた。ブライドからうばった服部半蔵の刀をエルに売りつけたのだ。マルガリータを片手に札束の感触を楽しむバド。しかしあっさりと金を渡すエルではない。案の定、札束の間に毒蛇を仕込み、襲われたバドは苦しみながら息絶える。まんまと刀を手に入れたエル。


しかしそこへ地獄から這い上がったブライドが。女2人の壮絶な一騎打ちが狭いトレーラーの中で展開する。ド迫力である。ブライドはバドが隠し持っていた半蔵の旧刀。エルは新刀。そのつばぜり合いの最中−ブライドはエルの隻眼を素手の一撃でえぐり出したのだ。一瞬のことだった−これには度肝を抜かれた。エルが黒い眼帯をかけていた右目、それはブライド/キドーと同じようにパイ・メイに弟子入りしたとき、その傲慢さ故に師によってえぐられたのだ、という事実。そしてその復讐に師を毒殺したのだという。今や両眼を失って狂気のようにのたうちまわるエル。そのえぐり出した眼球を…ブライドは素足でぐにゃりと踏み潰す……うへえ、Oh, my G…!


残るは最後にして最強の敵、ビル。メキシコで彼の養い親とでも言うべき男から居所を聞き出したブライドは広大な邸宅にたどり着く。そしてそこで生きていた「娘」と対面する。ビルは父親として娘B・Bを大切に育てていた。父と母と娘。むつまじい家族の姿が描かれる。ブライドはビルと和解してこのまま家族として暮らすのではないだろうか…そんな想像さえ起こさせるほどだ。


しかし、ビルとの生活は血や暴力や死に満ちている。そんなものとは無縁な、普通の平和な人生を娘には送らせたい。それが4年前、妊娠を知ったブライドがビルのもとを去った理由だったのだ。「母」となった殺し屋がとたんに自分の命を惜しむようになるなんて、殺し屋としてはかってな理屈だが、自ら3人の子の母であるユマの心情が役に大きく反映されている。


2人の対決(決闘のようだ)は一瞬のうちに終わる。師パイ・メイの秘拳−人間の肉体の5つの秘孔を突く。数歩歩くだけで心臓が爆発する−その不出の秘拳を師はブライドに伝授していたのだ。‘お前はもう死んでいる’状態のビル。その顔は穏やかで、背後に絶えずあった恐怖の陰のようなものは消えている。彼はもう攻撃できない。暗殺者であることの呪縛から解放されたかのようだ。そして彼女も。


翌日彼女はモーテルのバスルームの床でぬいぐるみを抱きしめながら嗚咽している。隣りの部屋では娘がアニメに熱中している。「どうした?また何かあったのか?」と思うが、嗚咽の合間にブライドは言う。「ありがとう…ありがとう…」果てしない死闘をくぐり抜け、いのちを賭けて守り抜いたもの。これから待っている娘との平穏で幸せな暮し…。嗚咽し、床をのたうちまわりながら全身全霊でありがとうと言えるほどの喜びとはどんなだろう?




エンド・クレジットに「キャラクター、Q&U」と出たように、ブライド/ベアトリクス・キドーは監督タランティーノだけでなく、ユマ・サーマンが創作に大きくかかわったヴィヴィッドなキャラクターなのだ。今まで男ばかりだったカンフー・スターにやっと女性が加わったと言えるだろう。

今回エンドロールの「怨み節」は歌詞つき。一緒に歌えます。


2004-04-24
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 Kill Bill vol.1
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