古國 宴代 Utayo Furukuni | |||||
2000年8月、レディング/リーズ/グラスゴー・フェスティバル前夜祭、英音楽雑誌ケラングが主催したロンドン・マナックでのライヴ。チケットは早々とソールドアウト。 スタート直後、ライヴ・ハウスが宇宙の遥か彼方に飛んで、胎動されていたエネルギーが一瞬のうちに爆発!と錯覚したほど、熱気と狂気が入り乱れていた。一種異様な雰囲気でライヴは進行、そしてやはりハプニングは起こった…。 |
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コンラッドはプレイ途中、ステージ上からオーディエンスがひしめくフロアにダイヴ、勢い余ってまっさかさまに落下、全く動かない。数分後、オーディエンスに身体を持ち上げられフラフラ立ち上がると、不敵な笑みを浮かべステージへと歩む。そしてマストアイテムとなったジャック・ダニエルをグイッと飲み、何事もなかったようにギターを掻き鳴らした。これぞロックンロール! |
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ラスト・ソング(私が見た限りのライヴでは大傑作曲『A Perfect Teenhood』で常に締めくくっていた)では器材をステージに叩きつけ、オーディエンスを挑発するメンバーたち。それに触発されたオーディエンスが、フロアで蠢く混沌とした瞬間、そんなエネルギーが大爆発してか、ジェイソンはファンにもまれ、ドラムキットの一部で手のひらをグサリと切ってしまった。 それでもオーディエンスに、その血だらけの手を差し伸べるジェイソン。その姿を見ていたら、彼たちがモットーとする「オーディエンスとの一体感」を強く感じた。彼はそのケガで4針を縫う負傷。翌日にはアイルランドでミニツアーが控えていたが、ドラムスティックにテープをきつく巻きプレイした。その後、前述した通りレディング…などのフェスに参加、衝撃のパフォーマンスを人々にぶつけたわけである。 |
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さて、アメリカ・イギリスでは、もはや不動のカルト人気を獲得したトレイル・オブ・デッドだが、ミュージシャンからも一目置かれた存在に成長している。 ブラーのグレアム・コクソンは『Madonna』を購入して、彼たちの音楽を気に入った模様。 Xfmのハイジャック(これはロンドンを拠点とするXfmラジオの人気コーナー。ミュージシャンが影響を受けたバンドの曲やお気に入りの曲をプレイする)で、トレイル・オブ・デッドの「Blight Takes All」を選曲。 |
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また、ザ・フレーミング・リップスのスティーヴン・ドローズは、ジョン・ピール・セッション(イギリス・ラジオ界の大御所DJ、ジョン・ピールは以前よりトレイル・オブ・デッドに注目していた)のためスタジオ入りした彼たちを訪ね、ピアノで一緒にジャム・セッション。実際、その日のショーでピアノを弾きたかったと言うスティーヴン、彼たちのミュージシャンシップに興味を持ったと言う。 デフトーンズのチノとは知的会話を交わし、同じテキサス出身、アット・ザ・ドライヴ・インは仲の良い友だち。トレイル・オブ・デッドは気のいい兄貴分なのだろう。 そしてモグワイ。オール・トゥモローズ・パーティーは彼たちの熱望により、初参加となったトレイル・オブ・デッド。この交友関係により、イギリスの地を踏んだわけだが、それは彼たちの音楽を世に知らしめる、いいきっかけとなったと思う。 |
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そんなトレイル・オブ・デッド、2000年後半はイギリスを含むヨーロッパ・ツアーに多忙であった。が、何と言ってもイギリスで、フーファイターズのツアーサポートに抜擢されたことは、彼たちにとってビックステップとなっただろう。 こらからの予定としては、1月早々、ロンドンで行われるNMEプレミアのライヴが控え、サード・アルバム制作の準備、3月にはテキサス・オースティンの恒例となったサウス・バイ・サウス・ウエストに参加。これまでの彼たちの活動ぶりを見て、アメリカでは確実にメジャーとの契約が待っていることを確信するのは私だけではあるまい。 |
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アメリカ、イギリス…、次は疑いもなく日本である。我々の脳を一瞬のうちに覚醒する、彼たちの姿が目に浮かぶ。ハレルヤ!ブラック・エンジェルズ!新世代の激しい鼓動は今、確かにこの地球上に存在している。 |
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古國 宴代 Utayo Furukuni, Spring 2000 | ||
トレイル・オブ・デッドはメンバー全員がマルチプレイヤーで、コンラッドとジェイソンはステージ上、曲によりギターとドラムを交換プレイする。また、メイン・ヴォーカルはこの二人に加えニールも参加。この役割がそれぞれの曲に鮮やかな個性を色づけている。 |
all photos by U. Furukuni |
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