Films index2
宮藤官九郎監督作品
2005年4月16日拡大公開



真夜中のエロスとタナトス
あるいはチルチルとミチル


真夜中の、というタイトルと、町の片隅の長屋でひっそりと寄り添うような男2人を見ていると、『真夜中のカーボーイ』という映画を思い出した。ダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト。切ない映画だったなあ。『カーボーイ』では相棒のラッツォは死んで還らぬ人となるが、『真夜中の弥次さん喜多さん』では互いを求める一途な愛が奇跡を起こす。




江戸後期。妻ある弥次さん(長瀬智也)だったが喜多さん(中村七之助)を愛するようになり、彼の長屋に入り浸っていた。一本気な弥次さんに愛されながらも自分のあり方を確信できず苦しみ悩む喜多さん。弥次さんはそんな喜多さんを救うべく、魂の浄化と再発見を願い2人で「お伊勢まいり」に行こうと誘う。途中きびしい箱根の関所で別れ別れになりながらもなんとか再会を果たし、旅を続ける2人。そのころ江戸では弥次さんの女房お初が殺されているのが見つかり、奉行所の追っ手がかかっていた。静岡までたどり着いた弥次さん喜多さんはそこでお幸という少女に会う。喜多さんはその可憐で一途な少女に恋し、弥次さんを捨てようとする。しかしお幸が好きだったのは弥次さんだったのだ。嫉妬に狂った喜多さんは弥次さんを手にかけ殺めてしまう。一方弥次さんは殺されても喜多さんへの恋慕を断ち難く、この世とあの世の境目をさまよっていた・・・。




と、普通に書けばこんなストーリーなのだが、金髪でヤク中の喜多さんをはじめ、時間も空間も飛び越えて江戸時代にバイクやら新幹線が登場するし、あの世への待合室が(不)健康ランドだったり、漫才、突然ミュージカル、江戸と東京のミックス、この世とあの世のミックス、舞台芝居では当たり前のシュールな手法が駆使され実ににぎやかである。妄想から妄想へ息継ぐ間を与えず突っ走るスピードが気持ちいい。数々のパロディ、芸達者なワキ、「今」の旬を次から次へと繰り出してくる。そうしてあちこちにネタをちりばめていきながら、最後に一本ロープを引っぱると、あら不思議、それらのピースがすべて一つにくくられ「弥次さんだけがおいらのリアルだ」という喜多さんの台詞に集約されていくのだ。


その色彩豊かで明るいシーンの連続と対照的に、江戸の長屋のシーンは淫靡なモノクロである。照明のない夜の暗さ、湿気や生活臭といったものをリアルに感じさせる。喜多八の部屋は彼の内面を反映したカオスであり、彼はそこで薬をやるか、恋人とのセックスに耽るかしかない・・・。一方の弥次郎兵衛と女房お初が暮らす部屋はこざっぱりと片付いている。しかし、そこにもお初の怨念のようなものが漂っている。自分の亭主がこともあろうに男に走って自分を捨てようとしているのだ。それでも亭主をあきらめられず、激情にかられたお初は包丁を持ち出すしかなかったのだろう。愛(エロス)と背中合わせの死(タナトス)。


それにしても2人は幸せの青い鳥を求めて旅するチルチルとミチルのようだ。旅の果てに見出した青い鳥=リアルは自分のすぐ近くにあったのだ。


2005-04-24

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