Films index2
directed by Mel Gibson
2004年2月25日全米公開
by  ise
Jim Caviezel, as Jesus of Nazareth


イエス・キリストを題材にした映画は数限りなく製作されてきた。パゾリーニ『奇跡の丘』、『ジーザス・クライスト・スーパースター』、『キリスト最後の7日間』(TV)、『最後の誘惑』・・・。イエスの生涯の、個々のエピソードはあまりにもよく知られたストーリーであり、結末はすでに周知、登場人物たちのセリフまでわかっているのだから、マンネリは当然であり、新しくしようもない。その時代の俳優や監督たちが、その時代なりのリニューアルをしてきただけのように思う。


2月の公開以来、賛否両論の嵐を巻き起こしながら上映劇場を爆発的に拡大させてきた、メル・ギブソン監督・制作の『パッション』。21世紀最初の受難劇はどのように描かれているのだろうか。




ストーリーはゲッセマネの園での逮捕劇、イエスの裁判、鞭打ち、十字架刑、そして復活という章に分けられる。ひとつひとつのカットがスローなので、余白充分、つまりそこに「考える時間」をとってあるのだ。ユダヤ人に対して攻撃的だと言われる裁判シーンだが、己の権威・利益を守るためにそれを脅かすものを排しようとするのは権力者の常であり、いつの世でもどこでも行なわれてきたことであって、特定の誰かを攻撃するためのものではあるまい。


特殊メイクを駆使した鞭打ち刑のシーンは、破れた皮膚や流れる血があまりにもリアルで、その痛みを想像しようとするのだが・・・むずかしい。この鞭打ち刑、そしてゴルゴダの丘での十字架刑、と映画のほとんどをこのシーンの再現に費やしている。イエスの痛みを追体験させ、我々の罪を償うためにこれほどの痛みをキリストは味わわれたのに、そのキリストに対して我々はなんと不実であることか、と懺悔を促したかったのか・・・。(私は痛みを想像しながら一方で、絶対このシーンを真似した残酷な殺人事件が起こるだろうな、と寒気を覚えながら思った。)


延々と続く「死」への時間。イエスが息絶えたときは正直ほっとした。やっとこの男の苦痛が終わったのだ、と。死の瞬間、天から雨粒のように一滴の涙が落ちてくる。キリストの涙、という人もいるが、私は「父」の涙だと思った。イエスはいつも「天の父」に語りかけていたから。「父」はいつも天上から吾が子を見守っていたから・・・。


イエスは死の三日後、復活する。このシーンはたった2、3分、最後の最後にちょろりとくっつけられているだけだ。2時間がこの3分に集約されていくのである。聖痕以外、暴力と苦悩の痕は消え失せ、おだやかで輝かしいキリスト(ジム・カヴィーゼル)の顔を始めて見ることができる。




監督が願った「希望、愛、赦しのメッセージ」は伝わっただろうか。描かれているのはただ痛み、苦悩、悲しみ、怒り、後悔・・・。見ながら思考はどんどんネガティヴになっていく。鞭打ちのシーンでも、それを残酷だと言っている人たちが立場が変われば同じことをしたりするし、「汝の敵を愛せよ」という言葉には、それができたら戦争なんかないわい、と思ったり。ただ、見たものが少しでもそんなことを考えれば、それで成功なのだと思うしかない。


ジム・カヴィーゼルのイエスはどうしてもダニエル・デイ・ルイスとかぶって、しかたなかった。サタンを演じた(扮した)俳優は男か女か。腐臭のただよう大理石の像、といった感じ。ロザリンダ・チェレンターノ。美しい。ポンティウス・ピラトは唯一感情移入できた登場人物。誰もが常軌を逸したような状態の中での淡々とした状況分析と判断力。現代的だ(ローマ的、というべきなのか)。ブルガリア出身(らしい)ホリスト・チーモブ・ショポヴがクールに演じる。


2004-05-05
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