Films


ヴィンセント・ギャロの新作『ブラウン・バニー』は、愛する女性を失った男の壮絶な渇望感を描いたロードムービーだ。その途方もない渇望感が、まっすぐに続く道や平原など直線的なアメリカの風景と重なり合う、キレイな映画だ。固定カメラでずっと撮る続けるという技法も独特で、まさにギャロの俺様流なロードムービーに仕上がっている。




そんな最新作を引っさげて、ヴィンセント・ギャロが来日。ひそかに記者会見をし、お花贈呈できれいなお姉さんににんまりし、意味不明な新人女性アーティストのミュージックビデオをとって、あっという間に帰っていった。




"That is the damnest of the damn question. I am sick of it!"
それが、会見でのギャロの最初の一声だった。カンヌには未完成の作品を出品したこと。前作『バッファロー・〜』も同じように未完の形でサンダンスに出品したこと(出品時には2時間20分もあったそうだ)。出品後も編集し続けた『ブラウン・バニー』はカンヌ上映作品とはすでに別物になっていたことなどをとうとうと語り始める。


「カンヌの反応は最悪だった。あそこにいるのは商人ばかり。どうやってこの作品を売ろうということしか考えてないからね。」


前作『バッファロー'66』からは5年。彼の期待の新作『ブラウン・バニー』は、カンヌでコテンパンにやられた。長い。とにかく長かったらしい。でも、あのギャロとクロエ・セヴィニーの"濃厚"ラブ・シーンが見たいがために、客は席を立てなかった。


「はっきりさせておきたいのは、カンヌでの評判がどうであろうと、それは俺になんの影響も与えないってこと。俺が影響されるなんてありえないんだ。まあ、影響を受けて変化することがあるとしたら、自分のすることに自分が何か疑問を持った場合、その時だけだ。映画を見てもらう段階で、盲人、聾唖者、小さな子供、年配の女性、映画の好きな人間、映画の嫌いな人間―とにかく、誰でもいいけど、彼らのリアクションそのものは俺には関係ない。だってほとんどの人間は大抵ふりをするものだからさ」


この作品は、映画にも出てくる黒いバンに、バイクと自分のカメラとサウンド装置、照明、そしてスタッフ全てを乗せて撮影された。


「この映画は一般的な映画作りではできなかったと思うよ。俺はこれまでのやり方を無視した新しい方法で、まっすぐなロードムービーを撮りたかった。このやり方は全部自分でやりたがる俺の性分があってこそできたものだと思っている…でも、もう二度とやらないけどね。この映画で精神的に痛めつけられたんだ。俺は神経質なんだよ。体は痺れを感じるようになったり、友人や恋人との関係もズタズタになった。貧乏にもなっちゃったしさ」


★彼が言うには、こんな会話が交わされたという。

ギャロ:今日は何が食べたい?
ベジ :あなたたちがいきたいところでいいわよ
ギャロ:今日は君のためにベジタリアンデーにするんだよ。何でもいいから言ってみなよ
ベジ :サラダがあるとことならどこでもいいのよ。それに、あまりおなかが空いていないの。
ギャロ:OK。○○(日本人照明係の名前・スタッフノートを見れば分かります)どこに行きたい?

(結局、ギャロはベガスの高級なステーキハウスに決め、予約した)

ベジ :どこに行くか決まったの?
ギャロ:今日は、○○・○○・ステーキハウスに行くよ。ここは、ベガス一うまいサラダを出すんだ。
ベジ :ごめんなさい。店の名前に、ステーキ、って入ってるところでは食べられない…
 
ギャロは、その場で彼女を首にした。

「ラスベガスでの撮影では、用心棒のようなゴロツキには場所代を払えと喧嘩を売られ、本物の娼婦を撮影していて8回も逮捕された。許可なしで撮影していた俺たちは、灼熱のベガスでフィルムを冷やすための氷も売ってもらえなかった。それにスタッフがわがままなんだ。日本人の照明は文句しか言わない。彼がやりたいことっていえば、一日中テニスを見ていることなんだ。もう一人の制作の女性スタッフはベジタリアン。異常な日本人わがままモンスターとベジのレズビアンが俺のクルーだった★」 


結局あまりのわがままぶりに解雇を言い渡したそうだ。
彼はこの映画に持てる力をすべて注いだ。そして、消耗してしまったように思える。


Hand passes


「俺が仕事に力を注ぐときのレベルは極端なんだ。とんでもなくね。何があろうが、どれだけかかろうが最高の水準まで持っていく。映画の世界に生きてきてもう25年になるけれど、周りの人は20年間編集をしてきたら、その1つのプロトコルの中でしか仕事をしようとしない。それ以上、範囲外のことは全くやろうとしない。そういう人間たちを見ると、なぜそれ以上のことをしないのかって思うよ。俺は何か特別な仕事に臨むとき、食事もせず、眠らず、自分を痛めつけるようなこともする。作品のためなら、そのためにさらに50本の電話もかける。どの作品にも同じかといったら違うけれど、この作品には必要だったんだ」


ミュージシャンであり、相当なレコードコレクターでもあるギャロ。レアな音源を
求めて、全米の大学を渡り歩いた。レコード会社にもマスターがなかったそうで、アメリカ中の大学に片っ端から電話をかけて、自分で歩き回った。


ヒロインのキャスティングも同じだ。長い間「クロエ・セヴィニーは、共演したくない女優だった。自分もクロエが出る作品は断ってきた」。クロエは、元カノでもあり、別れた後にはメディアを通じて一悶着あったのだ。でも、この作品のヒロインは彼女でなければならないとヨーロッパにいる彼女に電話した。彼女も二つ返事でOKしたという。2人は、撮影のためにずっと一緒に過ごし、ギャロはそのときは彼女に恋していた、と告白している。衝撃的なラストシーン、2人のオーラルセックスシーンなのだが、このこだわり続ける仕事人的なところがあったからこそ出来上がったといえる。




とにかく、オーラルセックスシーン!という人には、あまり期待をしないでみてくださいとしか言いようがない。日本だし、ぼかしが入ってるしね。そのものが見たい人はネットで無料画像でも探してください。


個人的にはこの映画はアメリカの景色を見るものだと思う。これは、ギャロも言っていることだけれどね。荒涼たる砂漠、そこを思いっきり走っていくバイク。そして消えたと思ったら戻ってくる…。見ているときは、はぁ?でも、時間が経つごとにイイ映画だったなと思えてしまう、そんな映画なのです。


Up
HOME_English Update Feedback Contact Home_Japanese