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ロック(コミック)バンド、テネイシャスDを結成し、コアなロックファンをがっちりつかんでいるロック界のジョン・ベルーシことジャック・ブラック。『ハイ・フィデリティ』
『愛しのローズマリー』で注目され、今作の全米ヒットで知名度急上昇となった。
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芽は出ないがロックへの愛と情熱だけは誰にも負けないデューイ・フィン(ジャック・ブラック)は「音楽の方向性」の違いから自ら結成したバンドからクビを言い渡される。ルーム・メイトのネッド(マイク・ホワイト)からたまった部屋代を払うよう迫られたデューイは代用教員をしているネッドになりすまし、私立のエリート小学校へ臨時教員としてもぐりこむ。
給料だけが目的でまったく教える気もなくサボリを決め込む彼だったが、ある日音楽の授業で見事に「アランフェス協奏曲」をこなす生徒達を見てバンド魂に火がついた。「特別プロジェクト」と称して密かに子供達とロックバンドを結成、自分はリーダーにおさまって子供達を特訓しはじめる。バンド・バトルに出演し、優勝して賞金を手に入れ、ついでに契約のきっかけをつかもうという魂胆だ。しかし彼の策略とは別に、子供達は次第にロックに目覚めていく。エリート校の型に押しこまれていた子供達は少しずつそこから脱し、自分自身を表現しはじめたのだ。
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ツェッペリン、ドアーズ、ジミ、AC/DC、サバス、ラッシュ、フー、キラ星のごときバンドが登場、うきうきする(笑)。とにかく脚本(マイク・ホワイト)がよかった。ちょっとワケありのオトナが、子供達を「教え」、意外な能力を引き出していくパターンの映画は多々ある。古くは『がんばれ、ベアーズ』から『キンダーガーテン・コップ』、ダニー・デヴィートの『勇気あるもの』まで。しかし今作は強烈な個性の持ち主、デューイ・フィンというロック魂の伝道師のような男が主人公なのだ。MTVへのいやみやあてこすり、世の中を影で動かしているthe
manへの反抗精神、かっこいいことがロックじゃない、腹が出てようがブサイクだろうが関係ない。ロックとは反抗でありパッションだ!と言いきるロックへの絶大なる信頼と自信。全編ジャック・ブラックの独壇場。
冒頭のパブでのライブでは延々20分のギター・ソロ、浮きまくりの自己埋没・自己陶酔プレイでバンド仲間をあきれさせ、最後はオーディエンスにダイヴ、誰にも受けとめてもらえず床に沈没。まわりはおかまいなし、自分の信じる道をまっしぐら、なのである。デューイの爆発的エネルギーにぐいぐい引っ張られていく。
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ところで最近刊行された齋藤孝(『声に出して読みたい日本語』『理想の国語教科書』等著書多数)の『教え力』という本を読んだ。教えるとはどういうことか、教えるにはどうするかなど相手を伸ばす教え方について書かれた本だ。そこには5つのポイントがあって、
@(教師の)憧れに憧れる力
A評価力
Bテキスト素材力
Cライブ能力
D自立を促すコメント力
があげられている。「スクール・オブ・ロック」でデューイの授業風景を見ながら、まるで「教え力」の実践編だなと思ったくらい。@まずロックへの限りない憧れと尊敬、愛と情熱。A生徒達の資質と能力を見極め、担当楽器を決め、ローディー、セキュリティ、照明、マネージャー、果てはグルーピーまで的確に仕事を割り振っていく。Bそしてテキストは膨大な音楽知識とCDコレクション、映像資料から選択。それだけでなく、ロック史までみっちりとたたきこむ。Cそれを教室で教えるライブ力は長年のバンド生活で培われている。自作曲を生徒たちに一人で演奏してみせる長まわしシーンは最高。D生徒たちが行き詰まったときには、やさしく、ときにはきびしく言い聞かせ、やる気をひきだす。いいところがあったらほめまくる。
子供達は彼に刺激され、導かれ、ギター担当のデレクなどは自分で曲を書きはじめる。それをすぐさまバンドの新曲としてとりあげ、みんなで練り上げていく。すごいと思った。デューイは理想の教師ではないか!もちろん脚本のマイク・ホワイト(ネッド役で出演)は齋藤孝先生を知らないだろうけど(笑)、教えることの王道は1つなんだと思った。
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教育体制についてもぴしぴしするどいツッコミがある。しかし規則・授業効率最優先のガチガチにおかたい校長先生ロージー(ジョーン・キューザック)にはやさしい目を向けている。保護者からの「核弾頭なみ」の圧力と期待が彼女をガチガチにしてしまったのだと告白させている。酔っ払うとスティーヴィー・ニックスになりきって踊りまくる愛すべき先生なのだ。
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また、これもおかたいGFを持つデューイのルームメイト、ネッドへの視線もやさしい。昔はバリバリのロッカーだったが、今は「普通の市民生活」を送っている。我々の、というか、かつてロックをやっていた連中の99・9%までがネッドなのだと思う。彼はデューイに大人になれ、と諭すが、一方で「こいつにはずっとロックをやっていてほしい、俺にできなかったことをやっていてほしい」と思っている。音楽をあきらめ、「普通の市民生活」に入った者のせつなさをネッドは体現している。その胸のうちにはやはりロックの火は消えずにいて、デューイと子供達のバンドがバンド・バトルに出ると知るや、「見てみたいじゃないか」とライブ会場に駆けつけるのだ。
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衣装担当の生徒が作ったアンガス・ヤング調ショート・パンツをはいて満場のオーディエンスを前に渾身のプレイを披露するデューイ。クライマックスのライブはやはり楽しかった。演奏が最高潮に達した時、デューイはステージからダイヴする。今度は(というより始めて)ガッチリと受けとめてくれるオーディエンスがそこにいた。いつも否定され、けなされ、小ばかにされてきた彼が始めて受け入れられた、そんな気がした。それを言えば、生徒達もデューイのロックへの情熱、ロックという音楽、をまともに受け止めてくれた。そのことがデューイは一番うれしかったんじゃないだろうか。
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バンド・バトルでの優勝は逃したが、デューイと生徒達は「スクール・オブ・ロック」を放課後の課外授業として続けることを許可されるというハッピー・エンド。
そしてエンドはAC/DCに乗ってのバンド・リハシーン。ライブ感覚たまんなかった!退屈な名前の羅列を延々見せられる代わりにバリバリのプレイを楽しめるなんてアイディア最高です!このシーンだけでももう一度見たい!
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当日、私の前にはどういうわけか70以上とおぼしきシルバーヘアのおばあちゃまが座った。大丈夫かなと思ったけど、受けていた。(グルーピー・ジョークはわかんなかったようだけど)。となりの、娘と来ていた50くらいのお母さんにもバカ受けで、終始くすくす笑い声。お母さんもしかして、ツェッペリン世代?
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2004-05-01 |
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