Films index2
directed by Sofia Coppola
2003年9月ヴェネチア国際映画祭プレミア公開
by  ise
in Tokyo



『東京』をキーワードに、ソフィア・コッポラが自らの"模索の時期"を題材に描く小品。監督自身これを非常に「個人的な」作品であり、東京への愛着を込めて作った、とコメントしている。ミニ・シアター系の公開では異例の"大ヒット"となり、東京から地方へと上映館を拡げていった"おしゃれな"映画である。




CM撮影のため東京にやってきた中年俳優ボブ・ハリス(ボブ・マーレイ)。ホテルのスタッフやCM関係者たちに慇懃に迎えられながら、早くも自分がエイリアンであるかのように感じていた。翌日から始まったサントリー・ウィスキー『響』のTVCM撮影。意志の疎通もままならず、フラストレーションを押さえこみながらプロとして仕事をこなしていく。時差もかまわず電話してくる妻、父の不在をさみしく思いながらそれなりに忙しい子供たち。ボブは早々にホテルのバーに退散する。


同じホテルに滞在する若いシャーロット(スカーレット・ジョハンソン)は結婚2年目の夫について東京に来ている。カメラマンの夫ジョン(ジョバンニ・リビーシ)は人気バンドのツアーに同行し密着撮影中。軌道に乗り始めた自分のキャリアに夢中で妻をかまってやる時間もない。仕事どころか、今は夫に養われている身、自分が何をやりたいのかも掴めずにいるシャーロットは孤独と焦燥のなかで身動きとれずにいた。


stuckという身動きとれない状態。卒業したものの仕事が見つからない。失業。何のために勉強するのかわからない。結婚生活の行き詰まり。人生の行き詰まり。自分が前に進んでいるという実感を失った状態。進みたくても進めない光の見えない時。そんな状態にいる人たち、そんな状態にかつていた人たちはシャーロットに自分を重ねたのではないだろうか?


そしてシャーロットとボブは出会い、言葉をかわす。
ボブは彼女に問う。
「君は何をしているの?」
彼女は答えられない。自分が「何者」でもないことを知っているからだ。
I'm nothing.
そう言えなくて彼女は、文章もうまくないし、写真も撮ってみたけど凡庸だし、と力なく告白する。(ソフィア・コッポラに替わって、というと意地悪だろうか?)ボブは続けることだ、君ならやれる、と励ましの言葉をかける。決まりきった励ましだが、自分を多少なりとも理解し、立ち止まって向き合ってくれた人からの言葉は身に沁みる。


巷では中年男と若い女はここでベッドインとなり、援助交際、またはダブル不倫成立となるが、シャーロットとボブにはセックスはない。若い彼女の友人たちとカラオケに興じ、夜の東京を徘徊する。2人の束の間の交流を、新宿の高層ホテル(ハイアット・パークホテル)とそれを囲む猥雑な街の中に描いていく。シャーロットはシェルターのようなホテルからストリートに出ていく。そこで彼女が見たこと、感じたことがやがて何かのかたちになって表現されていくのだろうという予感を抱かせる(まさにソフィア・コッポラがそうだったように)。彼女の、外へ向かう姿には静かな決意のようなものがある。


帰国の日、ホテルでぎこちなく彼女と別れ、タクシーに乗りこんだボブは空港に向かう途中、街で彼女の後姿を見かける。羽化したばかりの蝶のような、たよりなげな、心もとない姿である。たまらずに雑踏のなか、彼女を追いかけ、抱擁し言葉をかける。彼が彼女に何を言ったか…セリフは聞こえないし、字幕もない。知りたいと思う。彼女は人ごみに消え、彼は待たせていたタクシーに乗りこみ空港に向かう。彼の「東京の日々」は終わった。


Scarlet

Bill Murray

Giovanni Ribisi as John


欧米での批判は「何も起こらない」ことだったようだ。ただ淡々と登場人物の日常を追うだけの脚本が退屈だというのだ。「日常生活ドラマ」の深みも機微もわからない人たちなのだろう。そこはかとない風情を持ったシャーロットとボブには共感を覚えた。2人の微妙な距離感と日常の深み。しかしそれをほとんどブチこわしにしたのは監督が描く「東京」と「日本人」であった。


ここに出てくる日本人は醜い。慇懃なホテルスタッフ、RとLの発音ができない(笑えない)コールガール、CM関係者、女性通訳、シャーロットの友人たち、マシュー南…。たびたびスクリーンから眼をそらし、耳をふさぎたくなった。言葉(英語にかぎらず)の不確かさ、にやけた笑いでその溝を埋めようとする-私が一番嫌いなことをやっている。それともその溝を埋めようとすることのほうが大切なのであって、言葉は関係ない、と言いたかったのか。わはは、と同じように笑えばいいのだろうが、できない。自分もその日本人の1人だという自覚があるからだ。この映画で私が唯一クールだと感じた日本人はCMの撮影現場で"無言で"黙々と仕事をこなすスタイリストやアシスタントだった。


カラオケ、パチンコ、ゲームセンター、しゃぶしゃぶ屋、プラス観光客の喜びそうな京都と古風な婚礼の模様。監督の経験のなかにこれらがあったとしても、この映画の背景に本当にそれが必要だったのだろうか?たとえば舞台がNYでもLAでもパリでもプラハでもヨハネスブルグでも、シャーロットとボブの物語は描けたはず。「東京」と「日本人」は流行のアクセサリーなのだろうか。


ところで、この映画のCM撮影のシークエンスを見て赤面したハリウッド俳優が何人かいただろうことは想像がつく。サントリーが実名で登場したのには驚いたし。映画に出資したのだろうか(笑)。ボブ・ハリスのモデルは誰か?私はミッキー・ロークだと踏んでいるのだが…?


2004/7/1
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