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ジャン・レノ主演、マチュー・カソヴィッツ監督の2000年ヒット作『クリムゾン・リバー』のシリーズ2作めである。アルプスを舞台にした猟奇殺人の謎を追う二人の刑事。その捜査に同行するかのような臨場感と謎解きのおもしろさ、オカルト的な得体の知れない空気感に引き込まれた前作からスケール・アップ。リュック・ベッソン脚本という話題作だ。監督はカソヴィッツに替わってオリヴィエ・ダーン、ニーマンス警視はジャン・レノが続演、相棒の若手刑事レダをブノワ・マジメルが演じる。
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★結末にふれています。
壁に打ちつけられたキリスト像が血を流す、という出来事がフランス・ロレーヌ地方の古い修道院で起こる。よくある「奇跡」のような出来事だが、パリ警察から派遣されたニーマンス(ジャン・レノ)とそのチームは科学捜査によって壁に塗り込められた死体を発見、殺人事件として捜査を開始する。すぐに殺された男フィリップがある宗教グループに属していたことをつきとめ、周辺を調査し始める。
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一方麻薬課の刑事レダ(ブノワ・マジメル)は、ある夜捜査帰りにイエス・キリストそっくりな男を車ではねてしまう。男は助けようとするレダをふりきって逃げようとする。なにかにおびえ、うわごとのようにしきりに助けを乞うていた。彼は銃撃され、どこかから逃げてきたらしい。翌朝、イエスが運び込まれた病院を訪ねたレダは、病室に不信な神父が入りこんだのを発見、逃亡する彼を追う。しかしその謎の神父は、超人のように驚異的なパワーを持っていた。跳躍力、脚力、腕力、人間離れした能力にレダは追いつけず、逃がしてしまう。
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病室にもどったレダはまたもや不審な男がイエスの治療器具を操作しているのを見咎める。振り返ったのはニーマンスだった。実は2人は旧知の間柄−ニーマンスはレダの警察学校での教官だったのだ。宗教グループの捜査からイエスにたどりついたニーマンスは、イエスに自白剤を打ってしゃべらせ、手がかりを得ようとしていた。宗教の専門家マリーも加わり、3人チームでの捜査がはじまる。
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12使徒と名前も職業も同じ男たちが連続して殺されていく。男達は皆イエスの仲間達だった。しかも問題の修道院で活動していたのだ。行き詰まる捜査。しかし、マリーは緻密な分析から、ある推論を引き出す。中世、バチカンを追放になったロタールU世の財宝が例の修道院のどこかに隠されているのではないかというのだ。問題の修道院周辺にはいくつかの人造湖と湖に沿うように掘られた地下トンネルが走っていた。ニーマンスたちは修道院の大規模な捜査を開始するがなにも証拠は出なかった。修道院の所有者の背後にはドイツ文化相、フォン・ガルテン(カメオ出演、クリストファー・リー)がいる。彼は警察の介入を拒み、近づくニーマンスを葬りさろうとした。事件の背後にフォン・ガルテンがいることをニーマンスは確信する。
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修道院の鐘が1度も鳴らないことに気づいたニーマンスはその鐘楼が地下室への入り口だと直感、レダとともにロープで鐘楼を下り、潜入する。地下で2人は大量のアンフェタミンを発見、それは第2次大戦中兵士が戦闘の際使用していた興奮剤だった。飲むと超人的なパワーを発揮し、痛みも感じないというのだ。これで暗黒の神父たちの超人的なパワーの謎がとけた。当然のようにそれを一本ずつ自分たちのポケットにしまいこむニーマンスとレダ。しかしすぐに発見され、銃撃戦の末、ニーマンスは負傷、2人は拘束される。
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フォン・ガルテンとその一味が集う修道院地下の狭い部屋。2人は梁に吊り下げられている。石を積み上げた壁、そして中央の祭壇。ガルテンはそこにロタール2世の財宝が隠されていると明かす。彼は戦時中ドイツ軍の一員として駐留していた。さまざまな調査によってロタール2世の財宝の存在を確信していたが、そのありかをつきとめることはできなかった。戦争終結により母国にもどったが、仲間たちを修道士としてとどまらせ、長年に渡って監視してきたた。ところが、12使徒たちが偶然にもその財宝への扉、その鍵を発見したのだ。使徒たちが次々と殺されたのは口封じのためだったのだ。
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狂喜しながら財宝への扉の鍵を開けるガルテン。しかしあらわれた祭壇、そこにある小さな石版をとり除いたとき、あるトリックが作動し始める。宝を守るために10何世紀もの間、封印されてきた扉、その封印を解いてしまったものへの厳罰とは……。
不気味な地響きがはじまり、壁の積み上げられた石の間から水が噴出してくる。地上の人造湖の水が地下に放水され始めたのだ。水は次第に量を増し、閉ざされた小さな地下室はあっというまに水没した。ガルテンは死を悟って自殺、仲間もすべて水死、ニーマンスとレダは梁に縛り付けられていたお陰で流されずに持ちこたえ、上へ上へと脱出を試みる。
地下トンネルに出た2人は必死で地上を目指すが、爆音とともに水が押し寄せてくる。間一髪逃げ込んだ部屋にも水はあふれてきた。2人は懸命に水門のハッチを開けようとするが錆びついて動かない。その時ニーマンスは叫ぶ「アンフェタミンだ!」2人は例の興奮剤を一気飲み、死に物狂いでハッチを回す…!ようやく地上に這い出た2人。その無事な声を警察無線で聞いていたマリーも安堵の笑みである。
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静と動との対比が見事で、冒頭からこわい。土砂降りの雨。田舎の朽ち果てたような修道院。部屋の番号は13。壁に打ちつけられるキリスト像、流れ出す血…。
使徒たちの殺されかたも残忍で、四肢切断、眼球くりぬき、ニードル・ガンで壁に磔りつけ、である。命をねらわれている使徒たちを尋ねていくのだが、しーんとした牧歌的な風景の中、あきらかに目的の男達はもう死んでいると見ているほうにはわかる演出だ。だれかが物陰にひそんでいるのもわかる。いつ来るか、いつ来るか…その緊張とサスペンス。そしてイキナリの有無を言わせぬヴァイオレンス。それがずっと持続する。こっちは絶えず緊張しているから、ドアがバタンと閉まる音にさえ「ドキッ」としてしまうのだ。
ストーリーには矛盾もある。たとえば、他の使徒たちは一撃でやすやすと殺したのに、なぜイエスを同じように殺さなかったのか?呼吸装置をはずしたくらいでは助かってしまうではないか。ストーリーの展開上イエスには生きていてもらわないと困るのだろうが・・・。それに宗教のからんだオカルト的な連続殺人の真相が、隠し財宝とそれがもたらす権力に眼がくらんだ男たちの仕業、とわかってしまうと、ちょっとストレートすぎるなとも思う。
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しかしそれ以上の魅力がいっぱいだ。カルト的殺人、というとその表面の異様さや異常さにとらわれがちだが、ニーマンスとそのチームは常に地に足のついた正攻法で緻密な捜査を重ねていく。表層の異常さにふりまわされず、その下の人間の心理や行動を冷静に見ているクールな知性。アクションばかりのぶっ壊し映画とはちがう、知的ゲームの爽快さを味わわせてくれる。見ていくうちに自分がニーマンスの相棒になったような気になれるのだ。
ジャン・レノのニーマンスにもふくらみが出てきた。冷静沈着、剃刀のような判断力を持つスーパー刑事なのだが、実は犬嫌いで(というより犬恐怖症)、なんとか犬になれようと飼いだしたのがドーベルマンでもなくヨークシャーだったり、かわいいのだ。クライマックスの洪水シーンでは彼が叫ぶ「アンフェタミン!アンフェタミン!」には「わはは」と大声で笑ってしまった。
この笑いは一種のカタストロフィだった。それまでの緊張感を一気に溶かしてくれた。この2人は大丈夫だ、助かる…そういう安堵の思いで充たされる。見事だった。さすがリュック・ベッソン。これは『レオン』のラスト、ギャリー・オールドマンの「shit」に匹敵するセリフだろう。しかしベッソン、アメリカ映画の影響か、あのトンネルの洪水シーンや祭壇のトリックシーンなどはまるで『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』であった。地下トンネルででっかい鉄の玉の変わりに水に追いかけられるという構図。
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今回のニーマンスの相棒はレダ。前作の若手刑事マックス役のヴァンサン・カッセルものびのびした長身のハンサムだが、レダ役ブノワ・マジメルも『タクシードライバー』の頃のデニーロの面影をちらりと持った男前である。マーシャル・アーツもお見事だった。ジュリエット・ビノシュの彼氏だとか。こういう体育会系のフランス男って最近の台頭?ニーマンスとレダのラストでの掛け合い漫才もなかなかニクイものがあった。「飼っているヨークシャー、名前はレダ、お前に似てる」とかつての教え子をからかう−これはアドリブ?
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エンドロール曲はストゥージズの 『No Fun』 。
すでにシリーズ3作目が決定しているという。楽しみです。
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2004-06-01 |
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