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めでたくマネージメント会社の取締役に就任、リップスのみならず、エリオット・スミスやウィートのような注目すべきバンドのマネージャーも担当し、更にパワーアップで多忙のスコット。


ブッカー氏、マイケル、スティーヴンと
ブッカー氏、マイケル、スティーヴンと


そんな彼は日頃より、音楽を取り巻く新しい情報にアンテナを張り巡らせ、バンドのために労力を惜しまない。また、バンドとスコットの間にある家族的繋がり、何よりもその絆こそ、バンドを勇気づけているに違いない。そこには惜しみない"愛"が存在する。その"愛"の深さに、私はどれだけ感動を貰ったことか。


さすがリップスが全面的信頼を寄せている人物だけあり、ビターなショービズの世界にいながら、ギスギスしたところが全くなく、気さくなお兄さんといった感じ。だからこそ、彼に出会った人みんなが瞬時に愛してしまうナイスガイ!なのだ。そして何よりも音楽を心から愛している。


リップスもナカナカのフォトジェニックであるが、いやはやスコットはそのちょい上をいく、おちゃめなポーズを決める。ほんと、憎めない人である。ゴーゴー!オクラホマ!






リップスとの出会い ●まず始めに、いつ頃、どのようにリップスとは出会ったのですか?


初めてリップスのプレイを見たのは、オクラホマ・ノーマンにあるクラブだった。確か僕は大きなヴェニューで、ポリスだかスティングを見たんだけど、ショーが終了後、リップスがプレイするフライヤーを見つけてね。僕と友だちはリップスを見に行った。友だちはリップスを気に入らなかったけど(笑)、僕は「これは凄い!」と思ったよ!友だちはその場を去ったけど、僕はそこに留まった。


実際、このショーでリップスとは会わなかったよ。でも、僕が働いていたレコード店でマイケルと会ったんだ。彼はよく店に来るようになり、彼に近寄り話そうとするんだけど、何せシャイだからね(笑)。ウェインもよく店に来たよ。彼はいつもバイクのヘルメットをかぶっているから、なかなか話すことが出来ないんだ。彼はヘルメットを取ることなくカウンターに来て、レコードを買って行った。僕は店で強盗でも働くんじゃないかと冷や冷やしてたよ!(笑)


次第に、マイケルと僕は仲良くなって、彼はみんなを紹介してくれた。僕たちが住んでいるところで、同じような音楽を好きな人って限られていたからね。それは15、16年、いやもっと前の出来事かもしれないなぁ。


●ということは、リップスがデヴューしたての頃からずっと、あなたは見守ってきたのですね。さすがその絆は強い!では、リップスのマネージャーになったいきさつとは?


ジョナサン・ドナヒュー リップスの最初のマネージャーは神経衰弱だか何かになって、彼女は面倒を見ていた全てのバンドの仕事を辞めたんだ。みんな僕がレコード店で働いて、地元のショーをプローモーションしていたことを知っていた。


ある日、リップスがツアーに出る時、ウェインとジョナサン(ジョナサン・ドナヒュー。現マーキュリ・レヴ)に、当時のレコード会社、レストレスからの電話連絡に応対して欲しいと頼まれたんだ。僕は常に店にいたし、そんなの朝飯前の仕事さ。それがリップスを個人的にサポートするきっかけとなった。


僕は公式上、リップスがワーナーと契約するまではマネージャーではなかったんだ。事実、僕はリップスのマネージャーを探したんだけど、誰も興味を示さなかったよ(笑)。するとリップスのA&Rが、彼たちは僕のことを信頼しているし、みんなとうまくやっているから、僕がマネージャーになるべきだってね。リップスの弁護士、ビル・ベロルはとても力になってくれたし、ミュージック・ビジネスについての専門的な質問に答えてくれた。


リップスは
あなたにとって
どんな存在ですか?
●なるほど、そういったいきさつがあったのですか。では、リップスとはあなたにとってどんな存在ですか?


これまでの偉大なるバンドの一つで、僕のベストフレンドだよ!


●あなたは先程、レコード店で働いていたとおっしゃいましたが、今もまだ何らかの形で関わっているのですか? 


サウンドウェアハウス

レインボー・レコーズ
いいや、もうその時間がなくてね…。かなり恋しいよ。僕は15歳の時、"サウンド・ウェアハウス"というレコード店で働き始めた。ここで数年働いてその後、"レインボー・レコーズ"に移ったんだ。"レインボー・レコーズ"は中古や新盤を取り扱う本当にグレイトな店だった。アメージングなインディーバンドやジャズのレコードがたくさんあったよ!僕は12歳の頃からレコード店を愛してきた。毎日レコード店に行って、アルバムの情報を読んで、いろんな音楽を聴いていたよ。


オクラホマ ●若い頃から、自然と音楽に触れていたんですね。羨ましいなぁ。では、あなたは幼少期どのような子供でしたか?実際、オクラホマで生まれ育ったのですか?


 
僕は小さい頃、かなり本の虫だったけど、高校生になったらノーマルになったよ(笑)。町にくる全てのバンドを見に行くことにしていたしね。僕はイリノイ州で生まれたけど、1歳でオクラホマに来た。母親がオクラホマで生まれ育ち、故郷に戻りたがったから。


●ではどのような音楽に影響を受けましたか?


音楽との出会い ラジオで聴いて好きになった音楽のレコード(7インチ)を買い漁っていたのを覚えている。アルバムを買い始めたのは中学校に入ってからだよ。僕は一人っ子で、兄弟から古い音楽を教わることもなかったし、それほど熱中しなかった。初めて買ったアルバムはスーパートランプ、チープトリック、ELOだったと思う。それからビートルズを買い始めた。


初めて好きになったオルタナティヴ・バンドはたぶんディヴォーだよ。REMは僕にインディーのミュージック・シーンに興味を持たせてくれた。そして彼たちが影響を受けたバンドを知り、フィーリーズ、ハスカー・ドゥ、リプレイスメンツ、そしれヴェルヴェッド・アンダーグラウンドを聴くようになった。その頃には僕も地元のクラブに行ける年齢になったし、リップスがプレイする時はいつも見に行ったよ。それにしても、彼たちは今も昔も凄かったなぁ(しみじみ…)


●当時のライヴも見たかったですねぇ…。では、あなた自身、バンドに参加していたことはありますか?

 
ギターリストとして 勿論あるよ。(笑)バンドでギターをプレイしていた。それにしても僕たちのバンドは酷かったな…。だから僕はショーをプロモーションするようになったのさ!(笑)


ヘルファイア・エンタープライズ設立 ●(笑)次ですが、ヘルファイア・エンタープライズ(日本語でその名も地獄火商会か?)を設立したのは何故でしょうか?それはリップスの仕事に集中するためですか?


この会社は当初、ヘルファイア・マネージメントといい、リップスの仕事に対処するために作ったんだ。ところが今じゃ、僕の仕事はリップスだけではないからね。だから会社組織になった。だいだい、僕がバンドと一緒に仕事をするなんて夢にも思わなかったよ。僕は大学に行って、歴史の修士号を取り、高校の先生になることを計画していたから。だけどリップスのようにクリエイティヴなバンドと一緒に仕事が出来て、本当にグレイトだと思っているよ!


●ではこの会社名の由来は?何だかとてもファニーですよ!


僕たちが住んでいるオクラホマはとてもクリスチャンな地域なんだ。大きくなったら水曜日と日曜日(日曜日は2回も!)には必ず教会へ行く。僕の両親は僕に、彼たちと同じく堅実な道を歩んで欲しかったと思う。だから僕のことを、音楽に魂を売って、クレイジーになったと思ったはずだよ!そこで僕は、人々がロックとは悪魔だ!と連想するような名前にしたかったんだ。僕が何処からやって来たかというようなジョークさ。ファニーだろ!


●なるほど!本当にファニーですよ!名刺にも悪魔ちゃんがいて!次にマネージャーとして最もハードなこととは何でしょうか?

 
それはバンドのために何をすべきか決定すること。これはとてもストレスだよ。僕の仕事というのは、バンドに自分の意見を述べて、アドバイスすることなんだ。もしウェインが映画を作りたいと言えば、彼の望みが叶うようヘルプする。もしウィートがあるレーベルとサインする前、どうしてもアルバムを作りたいと言えば、そのゴールに達するようヘルプする。マネージャーとは、7日間、24時間の仕事なんだ。時には、真夜中の3時に電話が鳴ったりするよ。でもそれは僕にとってのビジネス・アワーなんだ。


●時間はあって無いようなものですね…。では反面、良い点とは?


それはグレイトな音楽とバンドを世界に紹介できることだよ。でも、僕がバンドを紹介する方法って、かなり熱く語り、相手を説得しているように思えるんだけどね(笑)。でもグレイトな人々と仕事が出来てラッキーだよ。この仕事を愛しているしね!


今現在、僕が受け持っているバンドは、リップス、ウィート、ザ・ストレート・ミンツ、クレイグ・ロス、スティーヴン・ジョーンズ(ベイビーバード)、サテライト、そしてフィルムメイカーのブラッド・ビースレイだよ。


●何と!ベイビーバードまで、地獄火商会の一員だったとは!(笑)ちなみにウィートとの出会いはどのように?

 
彼たちはアルバム"ホープ&アダムス"のレコーディングを、デイヴィッド・フリドマンのスタジオでしたんだ。マイケルもそのレコーディングに参加しており、彼たちの音楽を僕に聴かせてくれて、惚れ込んでしまったのさ。それでマイケルがそのことを彼たちに話したら、彼たちは僕に電話をかけてきた。僕たちはすっかり打ち解け、一緒に仕事をすることになった。彼たちは可能性を秘めたバンドだよ。今、彼たちは新しいアルバムを、デイヴィッドと一緒にレコーディングしている。彼たちは本当に重要なバンドだと思うし、人々は彼たちのレコードを聴くべきだと思う。


●ウィート、是非とも日本に来て欲しいですね。では次に、将来はバンド・マネージャーになりたい!という人々にアドバイスをお願いします!

 
マネージャーとして もしマネージャーになりたいのなら、謙虚でいること、そして常に人々の意見に耳を貸すことだよ。また、もし何かわからないことがあれば、必ず尋ねること!バンドのマネージャーになるということは、彼たちを心から愛し、家族のようになることなんだ。それから、忍耐強くあるべきだ。彼たちが成功するために、己のハードワークこそ肝心だからね。


●マネージャーとしてのモットーとは何でしょうか?

モットー 僕の好きなモットーは、映画"ハート・オブ・ダークネス"(フランシス・F・コッポラの映画"地獄の黙示録"の撮影ドキュメンタリー)のセリフだよ。彼はこの映画を撮影中、不可能な場面にぶつかり、挫折状態に陥った。そこで彼は、第2次世界大戦のあるドイツ将軍のセリフを拝借したんだ。その将軍はロシア軍を攻撃する際、タンクの燃料が切れてしまったことに気づく。しかし彼の部隊を励ますため「俺たちにガソリンは必要ない!」と言ったんだ。コッポラはスランプになる度に、このセリフを用いて、あのような素晴らしい映画を作った。リップスと僕が、何か不可能な場面に陥った時、このセリフをよく使うんだ。パワーと創造力は不可能を可能にする。そう、俺たちにガソリンは必要ない!


●あなたたちがそう吠えている場面、想像できますね。さて、あなたはこれからもいろんなバンドと一緒に仕事をしていくつもりですか?


エリオット・スミス そう思うよ。僕は常にいろんな人々と仕事をしたいと思っている。実はエコー&ザ・バニーメンのイアン・マカロックから、「一緒に仕事をしないか?」と電話をもらったことがある。でも僕は断った。何故なら僕は新しいバンドにフォーカスしたいからね。ガイデッド・バイ・ヴォイシーズのボブ・ポラードも同じように聞いてきた。でも彼はその時、かなり酔っ払っていたし、そんなことはとっくに忘れていると思うけどねぇ。僕はこれらのバンドが好きだよ、でも僕の中にある何かが違ったんだ。エリオット・スミス(念願が叶い、スコットは今、エリオットと仕事を共にしている)とは一緒に仕事をしたいね。彼は本当にグレイトだよ!


●あなたの交友関係の広さにつくづく感心してしまうのですが、どのように交友関係を広げているのですか?


 
ラッキーなことにリップスってみんなから愛されるんだ。彼たちはそんな出会いの扉を僕に開けてくれるんだよ!僕は人々とはフレンドリーに接するし、電話をかけたり、話すことを躊躇しない。僕は一緒に仕事をしているバンドとツアーに出ることが大好きだよ。そうしていろんな人々と出会えるからね!


●最後に、あなたの最も大きな夢とは何でしょうか?


正直言って、今のままハッピーでいることだよ。でも、バンドがミリオンというレコードを売ったらグレイトだろうね!


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